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津地方裁判所 昭和62年(ワ)226号 判決

原告

金谷すみ子

河村尚美

金谷直洋

右三名訴訟代理人弁護士

堂前美佐子

右訴訟復代理人弁護士

上田和孝

被告

伊勢市

右代表者市長

水谷光男

右訴訟代理人弁護士

小林芳郎

菊地裕太郎

佐脇浩

主文

一  被告は、原告金谷すみ子に対し、金二二六〇万円及びこれに対する昭和五八年一月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告河村尚美及び原告金谷直洋に対し、各金一〇九〇万円及びこれらに対する昭和五八年一月二五日から各支払済みまで年五分の割合による各金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告金谷すみ子に対し、金五六八二万八四三八円及びこれに対する昭和五八年一月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告河村尚美及び原告金谷直洋に対し、各金二七九八万九四四四円及びこれらに対する昭和五八年一月二五日から各支払済みまで年五分の割合による各金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告金谷すみ子(以下「原告すみ子」という。)は、亡金谷昌美(以下「亡昌美」という。)の妻であり、原告河村尚美(以下「原告尚美」という。)及び原告金谷直洋(以下「原告直洋」という。)は、いずれも亡昌美の子である。被告は、市立伊勢総合病院(以下「被告病院」という。)を維持管理する者である。

2  診療経過

(一) 亡昌美は、昭和五八年一月二二日昼食を取った後、魚の骨が喉に刺さったような気がすると訴えて、同日午後二時三〇分ころ、訴外由井耳鼻咽喉科気管食道科医院(以下「由井医院」という。)の外来患者として、同医院の外来待合室で診療待ちをしていたところ、約二〇分後に呼吸困難に陥り、チアノーゼが出現し、意識を消失した。由井医院の訴外由井誠一郎医師(以下「由井医師」という。)が、亡昌美の口腔内を診察したところ、声門を完全に覆いつくす直径約五センチメートルのチステ(嚢胞)を認めたので、これを切開手術し、暗赤色の内容物を多量に排出した。その後直ちに気管内挿管し、酸素吸入を行った結果、亡昌美は意識を回復してチアノーゼも解消した。

(二) 由井医師は、亡昌美を他の病院へ搬送することとし、外科系の病院に連絡を行ったが、医師不在のため、結局、救急車で被告病院へ搬送した。搬送に際して由井医師は、亡昌美が途中で自らチューブを抜かないように看護婦を付き添わせ、救急隊員には酸素吸入を指示した。

(三) 亡昌美は、同日午後三時四〇分ないしは五〇分ころ、被告病院救急外来に到着し、同病院の内科医師である訴外淵田則次(以下「淵田医師」という。)が血圧を測定したところ、一五〇/一〇〇mmHgであった。淵田医師は、搬送されてきた亡昌美が内科的疾患に起因する呼吸困難ではなかったことから、由井医師に電話で発病や治療の経過を問い合わせた。由井医師は、亡昌美の病変が非常に特殊なものであり、切開をして呼吸困難な状態であり、かなりの重症であるとの認識を持っていたことから、淵田医師に対し、亡昌美の経過観察を依頼した。しかし、淵田医師は、由井医師の説明を正確に把握せず、亡昌美はこのまま順調に回復するという意味であると理解して、直ちに抜管を行おうと考えたが、救急外来では十分な処置が行えないことから、臨機応変な処置の可能なICU(集中治療室)に亡昌美を移すこととした。

(四) 亡昌美は、同日午後四時五分、ICUに搬送されて入院し、同じころ、山田赤十字病院の耳鼻咽喉科医師である訴外野崎秋一(以下「野崎医師」という。)もICUに来室した。淵田医師は、患部の診察や全身状態の観察を行うこともなく、直ちに抜管を行った。抜管後、野崎医師が診察したところ、喉頭部に発赤と腫脹を認めたことから、抗生剤及び止血剤の投与と経過観察を行うよう指導した。淵田医師は、抜管後も自らは患部の診察を行わず、容体の経過観察も行うことなく、野崎医師の診察終了と同時ころにICUを出た。続いて訴外浜条照子看護婦長が退室し、ICUに残った同青山輝久子看護婦(以下「青山看護婦」という。)が亡昌美の血圧等を測定した結果、血圧一一〇/六〇mmHg、脈拍一一八、緊張良好、呼吸二四で規則的ではあるが喘鳴のある状態であった。また、出血は続いていた。同四時一〇分、亡昌美は自ら血液を排出した。同四時一五分ころ、亡昌美がナースコールで呼吸困難を訴えたことから、青山看護婦は直ちに吸痰し、同四時一六分ころ淵田医師へドクターコールを行ったが、同医師がICUに到着したのは同四時二五分であった。その間、亡昌美は、同四時二〇分にはチアノーゼを出現し、同四時二五分には呼吸が停止した。

(五) 淵田医師がICUに戻った時には、亡昌美は既に完全に呼吸を停止しており、チアノーゼがあり、意識もなかった。淵田医師は、直ちに気管内再挿管を試みたが、これに時間を要したことから、その間に亡昌美の心臓は停止した。同日午後四時二七分ころ、被告病院整形外科の訴外山添好宏医師(以下「山添医師」という。)が応援に駆けつけて、直ちに淵田医師に代わって挿管を試み、二、三分後の同四時三〇分、ようやく挿管を完了した。

(六) 挿管後、蘇生術が試みられたが、亡昌美は意識を回復せず、翌々日の二四日午前二時一七分、死亡した。

3  被告の責任

(一) 診療過誤

(1) 淵田医師の過失

ア 不適切な時期の抜管

亡昌美は、喉頭蓋に直径五センチメートルの声門を覆い尽くす巨大なチステを切開され、排膿した後に挿管されていたのであるから、元来の病変である喉頭部の腫脹、切開されたことによる喉頭部の腫脹及び挿管の刺激による声門その他の気管内の腫脹が存在し、さらに切開後に再びチステが大きくなって腫脹しており、排膿された後の組織は喉頭蓋にその基部を持ち、不安定なまま残存していたことは明らかであって、亡昌美の気管は、抜管前において既に相当部分が閉塞されていた。加えて、亡昌美の出血は続いており、挿管の刺激と切開による刺激から分泌物の発生が多量にある状態であって、このような状況下にあっては、閉塞されていない部分に血液と分泌物が貯留し気管の閉塞状況をさらに憎悪せしめる可能性が非常に高く、排膿後不安定なまま残存した組織が移動し、気管の閉塞状況をさらに悪化させる可能性があった。

したがって、抜管前の亡昌美は、いまだ自発呼吸が困難で、低酸素状態であり、抜管すれば気管狭窄を起こす危険が極めて高く、医師としては抜管を行ってはならない状態にあり、右状況は、医師が抜管前に発病経過等の正確な情報把握と患部の診察及び全身状態の観察を行ってさえいれば、十分知覚することができたにもかかわらず、淵田医師は、由井医師の経過説明を正確に把握せず、安易に亡昌美はこのまま順調に回復するものと勝手に思い込み、医師として自ら病態を把握しようという姿勢を全く持たず、右観察等を行わないで早期に抜管を行い、亡昌美の窒息死の結果を招いたものである。

イ 残存したチステの切片(嚢胞壁)を除去すべき義務違反

亡昌美は喉頭蓋嚢胞に罹患していたものであるが、チステ(嚢胞)を切開すれば、必ず切片が残存するのであって、右はチステが膿瘍化した場合についても同様である。したがって、亡昌美の喉頭にも喉頭蓋嚢胞を切開した後の嚢胞壁が残存しており、右切片は気道を閉塞する危険性が高く、医師としては右嚢胞壁を除去すべきであった。また、アプセス(膿瘍)の場合であっても、自潰しない限り、膿瘍膜が残存する可能性があり、由井医師から喉頭蓋膿瘍を切開したとの診療経過を聞いていた淵田医師としても、切開後には何らかの切片が残存していると考えるべきであり、抜管前後に亡昌美の患部を十分に観察していれば、嵌頓、閉塞の危険性を予見せしめるチステの残存組織を発見することができたにもかかわらず、淵田医師は、抜管前後を通じ、一度も患部を観察せず、嚢胞壁の除去を行なわなかったことから、同切片が喉頭の声門上に陥頓し、気道が閉塞し、亡昌美の窒息死の結果を招いたものである。

ウ 腫脹に対する必要な措置を取るべき義務違反

ICUに残った青山看護婦による測定の結果によれば、亡昌美の脈拍は一一八であり、正常域(六五ないし八六)を大きく越えており、呼吸数も二四と、やはり正常域(一四ないし二〇)に比べ速い状態であったことから、亡昌美は、いまだ低酸素症の状態にあり、先の窒息の危機的状況を脱していなかったこと、喉頭の腫脹が相当強く残っており、気道の閉塞状況が高く、空気の取り込みが努力を要する状態であったことは明らかである。また、青山看護婦によれば、亡昌美には喘鳴が観察されているのであって、右喘鳴は喉頭狭窄による呼吸困難の主徴候に他ならない。以上のように、抜管後の亡昌美の症状はかなりの危険を予告しており、医師としては、腫脹に対する緩和措置を施し、場合によっては直ちに再挿管すべき義務があったにもかかわらず、淵田医師は一度も診察を行わず、青山看護婦も右状況を淵田医師に報告せず、淵田医師は右の必要な処置を怠ったのであり、仮にそれらが実施されていれば、亡昌美の窒息死は回避し得たものである。

エ 抜管後の観察継続義務違反

挿管されて入院してきた患者の抜管を行った際には、抜管後再び、呼吸困難やチアノーゼを引き起こすことが当然予測されるものであるから、抜管を行う医師には、抜管後、殊に注意深く観察を続け、もしも患者に変化のある時には直ちに気道確保のできるように準備して観察を続ける義務のあるところ、淵田医師はこれを怠り、亡昌美の観察を十分行わず、同人を放置してICUを離れたことから、直ちに気道を確保することができず、亡昌美を救命できなかったものである。

さらに付言すれば、そもそもICUとは、呼吸管理、循環器管理を主目的とし、常に救命可能な措置を取り得る機能を有する特別病棟であり、その本来の機能が発揮されていれば、ICU内の患者が窒息死するということはあり得ないはずである。ところが、本件では、ICUとは名ばかりの杜撰極まりない管理状況にあったものである。

オ 気管切開ないしは気管穿刺を行うべき義務違反

a 淵田医師が亡昌美のもとに駆けつけた際、同人は既に完全に呼吸を停止しており、チアノーゼがあり、意識もなかったのであるから、淵田医師には、寸刻を争って気道を確保すべき義務があり、右方法としては、メスが一本ありさえすれば一五秒ないしは三〇秒で気道を確保できる輪状甲状軟骨切開の処置があり、亡昌美に対しては同処置による気管切開を行うべきであったのに、同医師はこれを行わず、いたずらに気道確保のための時間を遷延せしめたものである。気管内挿管は、それが成功するまでに要する時間はまちまちであり、一刻を争う場合においては甚だ確実性の乏しい手法であるのに対し、気管切開は早くて簡単な上に確実な手法であって、淵田医師は気管切開の方法を選択すべきであった。本件では、気道確保の時間の遷延によって死亡の結果を招いたことは明らかであり、その結果を回避し得る気管切開術という技法が確立されており、淵田医師もこれを知っていた以上、これを行うべきであった。

b 淵田医師は、少なくとも挿管を一、二回試みて、これが困難であった場合には、気管切開もしくは気管穿刺に踏み切るべきであり、それによって、亡昌美の死の結果は回避できたものである。

カ 耳鼻咽喉科の症状について専門的な治療が行えない状況下での抜管

当直医師である淵田医師は、内科医師であり、亡昌美に対する再挿管等、耳鼻咽喉科の専門的な医療水準の治療を行えないのであるから、そのような状況下では抜管すべきではなかった。

(2) 野崎医師の過失―抜管後の嚢胞切片の除去義務違反

野崎医師は、抜管後、亡昌美の患部を観察したにもかかわらず、気道への嵌頓、閉塞の危険性を予見せしめるチステの残存組織を放置し、その結果、喉頭蓋嚢胞を切開した後の嚢胞壁が喉頭の声門上に陥頓し、気道が閉塞され、亡昌美は窒息死したものである。

(3) 被告の病院管理上の過失

ア 被告の医師配置上の過失

被告病院は、救急病院の指定を受けた病院であり、総合病院である。そして、救急病院は消防法二条九項にいう医療機関であるところ、右医療機関を定める省令によれば、救急医療について相当の知識及び経験を有する医師が常時診療に従事していることがその基準と定められており、相当の知識及び経験を有する医師とは、救急医療に関し必要な知識及び経験を習得するのに適した医療機関において免許取得後相当期間外科診療に従事した経験を有する者、また、救急医療を担当する医師に対する研修課程を終了した医師とされている。それにもかかわらず、被告は、被告病院の救急外来に、呼吸困難の判断もできず、また、救命措置もまともにできないような、医療水準に達しない医師を配置した過失が存在する。淵田医師は内科医であって、医師免許取得後、三年にも満たない経験しかなく、救急外来を担当する資格に欠ける医師であった。

被告の右過失の結果、亡昌美は専門医の治療を受ける機会を奪われ、死亡するに至ったが、専門医の治療を受けていたならば、亡昌美の死亡は回避できたものである。

イ 耳鼻咽喉科の救急患者の受入れ回避義務及び転送義務違反

前記アのような状況下の被告病院においては、耳鼻咽喉科の患者については専門的な医療水準の治療を行えないとして、その受入れを拒否ないしは転送すべきであったにもかかわらず、被告はその旨を病院担当職員に周知徹底させず、その結果、担当職員は、救急患者の症状を確認せず、安易に耳鼻科の患者を受け入れ、亡昌美が専門医の治療を受ける機会を奪ったものである。第三次救急医療機関として三重大学病院が存在し、同病院への搬送は一時間もあれば可能であり、抜管前の亡昌美の状態には一刻を争う事情はなかったのであるから、第二次救急医療機関として手に負えない患者は、専門医師のいる第三次救急医療機関に転送されるべきであった。

転送しなかった以上、専門医でないから十分な治療が行えなかったとしても過失がないという主張は認められない。

(二) 責任の根拠

(1) 債務不履行責任

亡昌美は、昭和五八年一月二二日の緊急搬送時に、被告病院の担当医師らを介して被告との間で、亡昌美の病的異常の医学的解明とこれに対する治療行為を行う旨の診療契約を締結した。しかるに、被告の履行補助者である担当医淵田医師は前記(一)(1)記載の不完全な治療により、被告又は淵田医師の履行補助者である野崎医師は同(2)記載の不完全な治療により、あるいは被告自身の同(3)記載の不完全履行により、亡昌美を死亡させたのであるから、被告は原告らに対し、後記4記載の損害を賠償すべき義務がある。

被告は、淵田医師の行った抜管が野崎医師の指示に基づくことを理由に、淵田医師には過失がない旨を主張する以上、野崎医師はまさに淵田医師の履行補助者である。

(2) 不法行為責任

被告病院の被用者である担当医淵田医師は前記(一)(1)記載の診療上の過失により、右淵田医師に代わって業務の執行にあたった野崎医師は同(2)記載の診療上の過失により、あるいは被告自身の同(3)記載の過失により、亡昌美を死亡させたのであるから、右医師らないし被告の行為は不法行為を構成し、被告は、自らの不法行為に基づき、あるいは右医師らの使用者として民法七一五条に基づき、原告らに対し、後記4記載の損害を賠償すべき義務がある。

4  損害

(一) 亡昌美の損害

(1) 逸失利益 八一九五万七七七七円

亡昌美は、訴外伊豆信男の経営する伊豆モータースに勤務し、年額三〇八万円の給料等を得ていたが、過去に年五パーセントの割合で昇給を続けてきたものであるから今後も年五パーセントの昇給が見込める。また、亡昌美は、昭和四五年から訴外橋本庄太郎に早朝荷物の運搬業務のために雇用されており、月額三万円を得ていた。亡昌美は死亡時に四一歳で、六七歳までは稼働可能性があったから、中間利息及び生活費三〇パーセントを差し引いても、逸失利益は八一九五万七七七七円である。

(2) 慰謝料 二〇〇〇万円

亡昌美は、金谷家の大黒柱として、実父金谷弥吉(当時七九歳)、実母をえ(当時六九歳)、妻の原告すみ子(当時三七歳)、二女の原告尚美(当時一七歳)及び長男の原告直洋(当時一四歳)と共に明るく円満で幸せな家庭生活を送っていたにもかかわらず、医療過誤によって生命を奪われたのであるから、これを慰謝するには二〇〇〇万円が相当である。

原告らは亡昌美の相続人であり、その相続分は原告すみ子が二分の一、原告尚美及び原告直洋がそれぞれ四分の一である。

したがって、右(1)及び(2)の亡昌美の損害賠償請求権につき、原告すみ子はその二分の一(五〇九七万八八八八円)を、原告尚美及び原告直洋はそれぞれ四分の一(二五四八万九四四四円)ずつを相続によって取得した。

(二) 葬祭費用 八四万九五五〇円

原告すみ子は、亡昌美の葬儀費用として八四万九五五〇円を出費した。

(三) 弁護士費用 一〇〇〇万円

原告らは、本件訴訟の遂行を原告ら代理人堂前美佐子に委任し、同人に対し、原告すみ子は五〇〇万円、原告尚美及び原告直洋はそれぞれ二五〇万円を支払うことを約した。

5  よって、被告に対し、債務不履行ないしは不法行為に基づく損害賠償として、原告すみ子は、五六八二万八四三八円(亡昌美の逸失利益及び慰謝料の相続分五〇九七万八八八八円に葬祭費用八四万九五五〇円と弁護士費用五〇〇万円を加えた額)及びこれに対する亡昌美の死亡した日の翌日である昭和五八年一月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、原告尚美及び原告直洋は、各二七九八万九四四四円(亡昌美の逸失利益及び慰謝料の相続分各二五四八万九四四四円に弁護士費用各二五〇万円を加えた額)及び右各金員に対する同じく昭和五八年一月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)の事実のうち、被告が市立伊勢総合病院の維持管理者であることは認め、その余の事実はいずれも知らない。

2(一)  請求原因2(治療経過)の(一)の事実は概ね認める。

ただし、亡昌美は、由井医院の診療待ちの間に、容体が急変し、嘔吐、痙攣があり、呼吸が停止するに至り、チアノーゼが出現し、意識朦朧となったものであり、由井医師は、亡昌美を診察した結果、下咽喉にピンポン玉大の巨大なアプセス(腫瘤)を認め、喉頭蓋嚢胞ではなく、喉頭蓋膿瘍と診断したものである。

(二)  同(二)の事実は概ね認める。

ただし、由井医師は、今後膿瘍の炎症を抑えるための抗生物質の投与等に一週間ないしは一〇日の入院治療が必要であると判断し、他の病院へ搬送しようとしたものの、山田赤十字病院に連絡を行ったところ、同病院の耳鼻咽喉科の野崎医師は不在であったことから、さらに、伊勢田中病院、伊勢慶応病院及び小崎外科産婦人科医院(原告すみ子が看護婦として勤務している病院)などにも受入れを依頼したが、いずれの医療機関にも断られ、やむを得ず当該地域の救急医療体制の下で第二次救急当番となっている被告病院へ亡昌美を搬送することとし、その上で山田赤十字病院の野崎医師と連絡を取って亡昌美の診療経過を説明し、被告病院へ行って経過を診てくれるよう依頼したものである。

伊勢市地区においては、耳鼻咽喉科の救患は、一般救急システムの対象外であり、当時、山田赤十字病院が担当するという救急システムが確立していた。被告病院の耳鼻咽喉科には、正規医師は常駐しておらず、週三回(月、水、金のみ)に限って、国立三重大学病院の医師が診療を行うのみで、土、日曜日の診療はできない状態にあった。したがって、当日の被告病院は第二次救急当番病院となっていたが、当直医としては、内科(淵田医師)、外科、整形外科、小児科及び産婦人科の各科一名の医師が診療業務に従事しているのみであった。また、被告病院で勤務経験のある由井医師は右のような同地区の救急システムや被告病院に常駐の耳鼻咽喉科医がいないことを承知して、亡昌美を搬送したものである。

淵田医師は、被告病院が救急当番で原則として受入義務を負い、また、伊勢市内の耳鼻咽喉科医からの二次救急要請の患者であるため、本来の耳鼻咽喉疾患ではなく、内科的疾患に基づく呼吸困難に対する処置を必要として搬送されるものと考えて受入れを承諾したものである。

(三)  同(三)の事実のうち、亡昌美が午後三時四〇分ころ被告病院に搬送されてきたこと、当時の亡昌美の血圧は一五〇/一〇〇mmHgであったこと、淵田医師は、亡昌美が内科的疾患による呼吸困難ではなく、気管内挿管を受けた患者であったことから、由井医師に電話で問い合わせを行ったこと、亡昌美を病院三階のICUに担送収容したことは認め、その余の事実は否認する。

内科の淵田医師は、救急外来において、血圧検査のみではなく、亡昌美の聴診、問診を行い、意識及び呼吸の状態を検査した。亡昌美は、気管内に挿管されている状態であったが、呼び掛けに対し、筆談で、「いたい」と訴え、意識は明瞭で、呼吸も連続して正常、喘鳴なしであった。淵田医師は、予想に反して内科的疾患による呼吸困難ではなく、気管内挿管を受けた患者であったことから、由井医師に電話でこれまでの診療経過及び今後の措置方法、特に、抜管の適否及び時期などを問い合わせた。由井医師は、亡昌美の治療経過及び被告病院へ搬送することとなった経過を説明の上、既に喉頭蓋膿瘍の切開手術を行って気管内挿管してあるので、意識が回復し、自発呼吸で、呼吸困難及びチアノーゼが取れれば、抜管してもよい旨の意見を述べた。淵田医師は、病院一階の救急外来室では充分な処置ができないことと、予想できない事態が生じた場合の緊急処置を考慮して、同日午後四時五分、亡昌美を病院三階のICUに担送収容したものである。

(四)  同(四)の事実のうち、亡昌美が同日午後四時五分にICUに搬送されたこと、山田赤十字病院の耳鼻咽喉科野崎医師もICUに来室したこと、淵田医師が抜管したこと、抜管後野崎医師が診察し、喉頭部に発赤と腫脹が認められるので、抗生剤と止血剤の投与及び経過観察を行うよう指導して帰宅したこと、抜管後の亡昌美は脈拍が一一八、緊張良好、呼吸は二四で規則的であったが呼気に喘鳴があり、意識明瞭、出血が続くも、出血した血液を自ら排出できる状態であったこと、淵田医師がICUを退出後の同四時一五分ころ、亡昌美はナースコールで呼吸困難を訴え、青山看護婦が吸痰を行ったが、呼吸困難は改善されず、淵田医師へのドクターコールが行われたこと、その間、亡昌美にはチアノーゼが出現し、呼吸停止の状態に陥ったことは認め、その余の事実は否認する。

淵田医師は、亡昌美をICUに搬送後、さらに詳細な血圧測定と脈拍、呼吸、意識及び緊張の程度を検査した。亡昌美は、血圧が一一〇/六六、脈拍が一一八、緊張良好、呼吸は二四で規則的であったが呼気に喘鳴があり、意識は明瞭であった。由井医師の依頼を受けて被告病院に駆けつけた野崎医師も亡昌美の診察を行い、淵田医師は、野崎医師の意見も聴いた上で、亡昌美の苦痛を除去するために抜管を行ったものである。抜管後の亡昌美は、血圧一一〇/六〇、脈拍一一八、緊張良好、呼吸二四規則的、呼気に喘鳴があり、意識明瞭、出血が続くも側臥位で出血した血液を自ら排出し、自力でうがいなどを行い、容体も安定した様子であった。野崎医師がマッキントッシュ(喉頭鏡)を用いて亡昌美を診察したところ、喉頭部に発赤と腫脹が認められるのみであったことから、同医師は、抗生剤及び止血剤の投与と経過観察を行うのみでよいとの意見を述べて退出し、由井医師に対して、亡昌美は発赤位で出血もなく、喋っていて元気である旨を電話連絡した。淵田医師は、抜管後約一〇分間、亡昌美の容体を観察注視していたが、特に変化の兆候も認められなかったことから、抗生剤と止血剤の投与を指示して、回診のためICUを出た。青山看護婦がドクターコールを行ったのは、同四時二〇分で、淵田医師は、回診のため、他の病棟の回診へ向かっている途中であったが、直ちにICUに戻ったものである。

(五)  同(五)の事実は概ね認める。

ただし、ICUに駆けつけた淵田医師は、直ちに気管内挿管に着手すると同時に、青山看護婦に他の医師の応援を指示していたものである。

(六)  同(六)の事実は認める。

淵田医師らが挿管を試みる間、青山看護婦は徒手による人工呼吸を行い、抜管後はアンビューバックによる酸素吸入が行われたが、亡昌美は、洞性の徐脈(一分間六〇回以下の脈拍緩徐)から、同日午後四時三五分心臓停止をきたし、瞳孔が拡大し、下肢チアノーゼがみられる状態に陥った。淵田医師がボスミン投与、カウンターショック療法を施行した結果、心臓蘇生、心拍洞調律、頻脈となり、呼吸をサーボベンチレーター(人工呼吸装置)にて補助するも、意識は戻らなかった。亡昌美は、その翌日の二三日も意識を回復せず、血圧不安定となり、被告病院は血圧上昇剤投与などによってその維持に努めたが、翌々日の二四日午前二時二七分、意識を回復しないまま心臓停止をきたして死亡するに至った。

3(一)  請求原因3(一)(診療過誤)の主張はいずれも争う。淵田医師、野崎医師及び被告に過失がなかったことについては、後記三(被告の主張)のとおりである。

(二)  同(二)(被告の責任根拠)のうち、亡昌美と被告との間で亡昌美の疾患の診療を目的とする診療契約が締結されたこと、淵田医師が被告病院の医師として亡昌美の診療を行ったこと、亡昌美が死亡したことは認め、その余は否認ないし争う。

野崎医師は、由井医師の依頼に基づき、被告病院に来院して亡昌美を診察したものであって、被告病院や淵田医師の依頼により診察したものではない。したがって、野崎医師は被告及び淵田医師の履行補助者には該当しない。

4  請求原因4(損害)の主張は全て争う。

(一) なお、同4(一)(1)逸失利益の計算について、亡昌美の給与所得が将来稼働可能の六七歳に至るまで毎年五パーセントの割合で漸増するとの主張は、現在の一般的給与形態からは蓋然性のないものであり、生前の年収を基礎とすべきである。また、生活費控除率は三〇ないし四〇パーセント、中間利息控除率は五パーセントの割合とし、ライプニッツ方式により算出するのが相当である。

亡昌美の生前年収三四二万円、生活費控除率三五パーセント、ライプニッツ係数14.375を乗じて算定すると、その逸失利益は一七三〇万九二三〇円となり、原告の主張する八一九五万七七七七円は不当である。

(二) 同4(一)(2)の慰謝料についても、亡昌美の生活環境、罹患状況及び死亡に至るまでの経過等を考慮すると二〇〇〇万円は、亡昌美の慰謝料として高きに失する。一家の支柱として一五〇〇万円を原則とし、特別の場合に一八〇〇万円くらいとするのが相当である。

(三) 同4(三)の弁護士費用一〇〇〇万円は高額に失すると言うべきであり、弁護士費用は請求認容額の一〇パーセント程度を限度とする(認容額が高額化した場合にはそれ以下に減額すべきである。)のが相当である。

三  被告の主張

1  過失の不存在について

(一) 亡昌美の死因

通常、喉頭蓋嚢胞を切開して、いったん膿を排出した場合に、浮腫や膿の再貯蔵を原因として再度気道が閉塞される可能性はあるものの、その場合の閉塞は徐々に進行するものであって、本件のように突然、気道を閉塞する症例は認められないことから、亡昌美の死因は、切開後の嚢胞壁が喉頭の声門上に陥頓した結果、気道が閉塞されたための窒息死と推定される。

(二) 抜管時期について

(1) 抜管の判断

挿管をうけた患者の抜管を行う判断基準としては、患者の意識が回復し、自発呼吸が正常で容体が安定しており、管内出血、激しい痰、嘔吐ないしは意識障害の存在という窒息状態を引き起こす危険な症状がないこと、あるいは、舌根沈下の危険がないことであり、そのような場合には、患者の苦痛除去、気管内浮腫、気管びらんないしは壊死を防止するために、原則として抜管した方がよいとされている。

亡昌美は、ICUに収容時、血圧が一一〇から六六、脈拍一一八、緊張良好、呼吸二四で規則的、吸気に喘鳴あり、意識明瞭の安定状態であり、救急外来室では筆談で喉の痛みを訴え得る状態であったこと、淵田医師は、由井医師から、既に喉頭蓋膿瘍の切開手術を行って気管内挿管してあるので、意識が回復し、自発呼吸で、呼吸困難及びチアノーゼが取れれば、抜管してもよい旨の説明を受けていたこと、ICUに立会した野崎医師も抜管に異論を述べず、抜管後の診察においても喉頭部に発赤と腫脹が認められるのみであるとして、再挿管の必要性を指摘しなかったことに鑑みれば、淵田医師の抜管処置の判断に誤りはなかったものである。

なお、抜管後の脈拍が一一八となっているのは、挿管による刺激と心理的興奮状態によるもので、呼吸困難によるものではない。挿管による酸素吸入によって抜管時の酸素吸入は十分であり、酸素不足による頻脈であれば、当然にそれに伴う血圧上昇があったはずであるが、亡昌美の血圧は抜管前が一五〇/一〇〇、抜管後が一一〇/六〇であり、むしろ抜管によって一時的に亡昌美の容体は著しく改善したことを示している。

(2) 抜管時期と死亡との間の因果関係の不存在

亡昌美の窒息の原因は、前記(一)のように、喉頭蓋嚢胞(それ自体が極めて希有な症例であり、しかも直径五センチメートルという巨大なものであった。)の切開した嚢胞の切片が声門上へ陥頓して窒息したという予測不可能な事態によるものである。

したがって、仮に頻脈が治まった後に抜管していたとしても、窒息死は回避できなかったものであり、早期の抜管と窒息死との間には因果関係が存在しない。

(三) 抜管後の嚢胞切片について

(1) 亡昌美は猪首でマッキントッシュを用いても喉頭が見えない体型で、野崎医師が局部を診察した際にも、腫脹と発赤を認めたのみで嚢胞の残存組織は見えていなかったこと、再挿管を成功させた山添医師も喉頭の奥の方は見えておらず、手探りで挿管する状態であったことに照らすと、淵田医師にも残存組織の発見は困難であった。抜管前にも喉頭蓋のふやふやした切片が見えたはずである旨の鑑定人の証言は、実際に患者を診察した医師らの証言に反し、単なる推測による一般論であって、本件において信用できるものではない。

なお、抜管時に聞かれた喘鳴は、気管内の分泌物によるものであって、切片によるものではない。よって、右喘鳴から切片の陥頓を予見することもできなかったものである。

(2) そもそも、咽喉部の膿瘍一般においては、嚢胞の場合と異なり、切開後に切片を生ずることはなく、由井医師から喉頭蓋膿瘍の診断情報を得ていた淵田医師には残存組織の発見に努めてまで、これを切除する義務は生じない。

(四) 抜管後の経過観察について

淵田医師は、抜管後、亡昌美を一般病棟に移すことなく、医師又は看護婦が常駐監視し、手術その他の緊急治療が可能な設備のあるICUに留めて経過観察を行っていたこと、抜管後一〇分間は自らベッドサイドで観察を続け、容体が急変するような兆候は認められなかったことから、看護婦に監視を行わせることとし、病棟回診のためICUを離れたが、ドクターコールによって直ちにICUに戻り、その間の時間は五分にすぎないこと、亡昌美の呼吸困難発現後直ちにICUから淵田医師へのドクターコールが行われたことから、被告病院の観察に何らの手落ちもなかったものである。

また、仮に淵田医師が五分間席を外さなかったとしても、挿管着手時期がどの程度早まったかは微妙である。

(五) 気道確保の方法について

(1) 気管内挿管は、技術の難易性、危険性、所要時間、合併症の可能性の点で気管切開術を越えた、より進歩した医学技術であることから、気道確保の方法としては、まず挿管を試みるのが医学上の常識である。気管切開による気道確保は、何らかの原因で経喉頭的にチューブの挿管が困難な場合に取られる手段としては有効であり、本件において、挿管が困難であるとの事情の一つとして、嚢胞壁切片の声門上への陥頓の事実が考えられるのが、そのような極めて特異な状況を挿管着手当時に予見することは困難であり、淵田医師は、由井医師から、膿瘍の切開手術を施行して膿は出してあることを聞き及んでいたこと、その後いったん挿管が行われていたことから、再挿管が可能であると判断し、この方法を選択したものであって、右判断に過失はない。

また、仮に気管切開による気道確保の方法を選択していたとしても、同じ程度ないしはそれ以上の時間を要したものであり、淵田医師の判断に誤りはない。

(2) 次に、挿管が困難であると判明した時点で気管切開に移行すべき注意義務があったかという点であるが、淵田医師らが挿管に要した時間は約五分間であって、右時間は、挿管試行の許容時間内であり、また、挿管を断念して気管切開すべきかどうかという判断は、医学上も極めて困難なもので、一定の時間的基準を想定し、その時間を経過した場合に医師に過失ありとすることはできないものである。

淵田医師は、再挿管の試行に着手し、整形外科の山添医師も駆けつけて挿管を完了するまでに、亡昌美の呼吸困難の発現から約一五分、淵田医師が挿管に着手してから約五分間を要したが、緊急状況下の挿管は医師にとって難しい処置の部類に属し、患者の挙動、喉頭部の形態により影響を受け、多少の時間を要することはやむを得ないものであり、特に、患者の体型的に首が短く、気道位置が通常人に比べやや特異で、喉頭鏡の直視下でも挿管が非常に困難な状態では、淵田医師が次のタイミングでは成功するかもしれない、そうすれば即座に気道が確保できるとして再挿管を何度も試み続けたもので、他の方法に切り替えなかったことをもって過失と言うことはできない。

(3) さらに、原告は、気管切開を極めて簡単な危険の少ない技法であると主張するが、輪状甲状靭帯の切開という切開技法は、熟練した医師によって初めてよくなし得るものであって、かかる医療技術は文献的には知られていても、実際に施行した医師は極めて少数である。内科である淵田医師はもとより、整形外科の山添医師及び耳鼻咽喉科の野崎医師もその経験を有しない。全国的にみても、全国大学医学部の耳鼻咽喉科の教授に対するアンケートにおいて、自ら輪状甲状膜切開の経験がないばかりか、現実に右方法によって気道を確保したという経験をもつ医師を知らないと回答した者の数が46.1パーセントであったというデータが存在し、気管切開の技法が一般的ではないことを示している。その理由は、同技法が困難かつ危険なものであることによる。したがって、本件において、淵田医師が気管切開の方法を選択しなかったことに過失を認めることはできない。

(4) その余の手法としては、注射針穿刺があるが、右手法は、そもそも救命可能性が極めて不確実である上、穿刺のみで救命することはできず、他の手法と連携する必要があり、当時、被告病院には耳鼻咽喉科医がおらず、穿刺を行ってもその後の連携を依頼できる医師が存在しなかったものである。

また、淵田医師が挿管を途中で断念し、注射針穿刺を試みたとしても、亡昌美の死亡の結果は回避できなかったものである。

(六) 被告病院の診療体制について

土曜の夕方という通常の診療時間外の急患の受入れは、当該地域内の各病院の人的、物的条件の下、地域の各病院の連携、役割分担を前提として医療体制が組まれているのである。前述のとおり、由井医師は、被告病院には耳鼻咽喉科医は常勤していないことを承知の上で、被告病院に亡昌美を搬送するとともに、赤十字山田病院の耳鼻咽喉科医である野崎医師に被告病院に赴いて亡昌美を診察してくれるよう要請している。被告病院の淵田医師は、電話にて由井医師と連絡をとって経過説明を受け、これを前提として野崎医師とともに診断にあたっていたものであり、かかる患者の搬送、段取り等の具体的状況からすれば、被告病院の受入れ体制上の過誤は全く存在しない。かかる状況を無視した原告の病院体制に対する批判、主張は、そもそも過誤論の埒外にあると言うべきものである。

(七) 耳鼻咽喉科医ではない淵田医師による抜管について

淵田医師は、被告病院に亡昌美が搬送されてからの自己所見に加え、実際の執刀医師であり専門医である由井医師及び抜管に立ち会った専門医野崎医師から得た所見及び指示を専門外の内科医師として重視して抜管を行ったものであり(それらの意見を鵜呑みにしたということではない。)、由井医師や野崎医師も淵田医師が内科医師であること、被告病院には耳鼻咽喉科医がいないことを承知した上で、淵田医師に対して指示を行っているのであって、淵田医師のみならず由井医師や野崎医師も、抜管当時、亡昌美が特異な原因によってその後急激に呼吸困難を来すことは全く予見できなかったものである。切片の除去技術ないしは巧妙な挿管技術がなければ、抜管するべきではないというのは、事後的な結果論にすぎず、抜管当時、抜管後の切片の陥頓とそれによる再挿管の困難さは予見不可能であった。

したがって、淵田医師による抜管に過失はない。

2  過失相殺法理による減額

被告病院は、第二次救急病院として、前医の手術した患者を受け取ったものであり、しかも亡昌美は、既に予見不可能な喉頭蓋嚢胞に罹患しており(ただし、前医の診断は喉頭蓋膿瘍であった。)、当時医学上喉頭蓋嚢胞によって急激な窒息死に至った先例はなく、第二次救急病院自体がこれを予見することは不可能であったこと、また亡昌美は猪首で喉頭の診察が難しい体型であったこと、亡昌美は発症当日早朝から魚市場での魚の運搬作業に従事した上、自動車修理工として働いて昼食直後に喉の痛みを訴えたという過酷な稼働状況が本件の発症に寄与したと認められることなど、亡昌美の体質、前医の治療内容、第二次救急病院である被告病院に入院した後の経過、淵田医師が専門医らから得ていた情報の内容などの諸事情を考慮すると、仮に被告に責任があるとしても、過失相殺の法理又はその類推適用により、本件損害については少なくとも五〇パーセント以上の減額をするのが相当である。

四  被告の主張に対する認否

1(一)  被告の主張1(一)(亡昌美の死因)の事実は知らない。

亡昌美の窒息を嚢胞壁が声門上に陥頓したことのみによるものと断定することはできない。

(二)  同(二)(抜管時期)の主張は争う。

被告は、淵田医師が由井医師の助言を得て抜管したことを抜管時期が適切であった根拠として挙げるが、気管チューブを抜くかどうかという生命にかかわる治療行為についての判断を患者の現状を診察していない由井医師が行えるはずがなく、またすべきではない。

(三)  同(三)(嚢胞切片)の主張は争う。

この点に関し、膿瘍の場合は切片は生じることはないので、由井医師から喉頭蓋膿瘍との情報を得ていた淵田医師としては、切片が残存している危険性に対する配慮が欠けたとしても過失がない旨の坂倉教授の意見(乙第二四号証)は曲解であり、さらに、同教授は喉頭蓋嚢胞と膿瘍の識別は容易なものではないとの意見も述べているが、そうであるならば、膿瘍との診断情報を得ていたとしても、嚢胞の可能性をも考慮して対処すべきである。

(四)  同(四)(経過観察)の主張は争う。

(五)  同(五)(気道確保の方法)の主張は争う。

被告は、気管切開の有する危険性を指摘するが、気管切開に伴う出血ないしは感染症の危険は、窒息死の危険とは比べるべくもない軽いものである。また、被告は、気管切開を行った医師が極めて少ないことをもって、この方法を選択しなかったことに過失はない旨主張するが、緊急時の気道確保の方法として、医学上確立、普及した技法である以上、医師の資格のある者には、遂行能力が要求されているのであって、個々の医師の経験の有無は注意義務の存在に影響を与えるものではない。

仮に、輪状甲状軟骨切開が高度な技術を要する手法であるとしても、患者の生命が危険に晒され、一刻を争う状況下では、医師としては、緊急切開すべき義務がある。

(六)  同(六)(被告病院の診療体制)の主張は争う。

(七)  同(七)(専門外医師による抜管)の主張は争う。

2  被告の主張2(過失相殺)については争う。

亡昌美には何らの意味においても過失はない。亡昌美は、喉頭蓋膿瘍が治癒すれば、全くの健康体に戻るのであって、被告病院は、亡昌美を健康体に回復させることの対価として、治療費等の支払を受けるのであり、亡昌美が喉頭蓋膿瘍に罹患していたことをもって健康人と同様の損害賠償の認定はできないとする被告の主張は不合理である。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1(当事者)のうち、被告が市立伊勢総合病院の維持管理者であることは当事者間に争いがなく、原告すみ子が亡昌美の妻であり、原告尚美及び原告直洋がいずれも亡昌美の子であることは、原告金谷すみ子の本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によって認められる。

二  請求原因2(診療経過)について

同2のうち、亡昌美は昭和五八年一月二二日(土曜日)午後二時三〇分ころ由井病院を訪れ、診療待ちをしていた午後三時ころ、呼吸が困難となり、チアノーゼが出現したこと、由井医師が直ちに口腔内のチステ(嚢胞)の切開手術を行い、暗赤色の内容物を多量に排出した後気管内挿管を行い、酸素吸入をした結果、亡昌美は意識を回復し、チアノーゼも解消したこと、由井医師は搬送先として外科系の病院へ連絡を行ったが、医師不在で受入れを断られたため、亡昌美を被告病院へ搬送することとし、搬送途中で亡昌美が勝手に気管チューブを引き抜くことがないよう付添看護婦に監視を指示したこと、亡昌美は同三時四〇分ころ被告病院救急外来に到着したが、その際の同人の血圧は一五〇/一〇〇mmHgであったこと、被告病院の内科医である淵田医師は、内科的疾患による呼吸困難ではなかったことから、由井医師に対し電話で問い合わせを行い、亡昌美を同日午後四時五分ICUに搬送したこと、そこへ山田赤十字病院の野崎医師がICUに来室し、淵田医師が抜管したこと、抜管後に野崎医師が診察し、喉頭部に発赤と腫脹を認め、抗生剤と止血剤の投与及び経過観察の必要性を指導したこと、抜管後の亡昌美は、脈拍一一八、緊張良好、呼吸二四規則的、呼気に喘鳴があり、意識明瞭、出血が続くも側臥位で出血した血液を自ら排出できる状態であったこと、淵田医師がICUを退出した後の同四時一五分ころ、亡昌美がナースコールによって呼吸困難を訴えたことから、青山看護婦が吸痰を行ったが、呼吸困難は改善されず、淵田医師へドクターコールがなされたこと、その間、亡昌美にはチアノーゼが出現し、呼吸停止の状態に陥ったこと、ICUに戻った淵田医師が直ちに気管内挿管を試みたが成功せず、同四時二七分ころ応援に駆けつけた整形外科の山添医師が、淵田医師に代わって挿管を試み、二、三分後の同四時三〇分ころに挿管を完了したこと、挿管後、蘇生術が試みられたが、亡昌美は意識を回復しないまま翌々日の二四日午前二時一七分死亡したことは、当事者間に争いがない。

右争いのない事実と成立に争いのない乙第七号証の一ないし四、第一一号証の一ないし一一、第一五ないし一九号証、第二一号証の一、二、第二四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一八号証、鑑定の結果並びに証人淵田則次、同由井誠一郎、同青山輝久子(第一、二回)、同野崎秋一、同山添好宏(第一、二回)、同野村正行、同板倉康夫、同日野原正の各証言及び原告金谷すみ子の本人尋問の結果を総合すると、以下の事実が認められる。

1  亡昌美は、昭和三十年代に虫垂炎及び十二指腸潰瘍の既往歴があるのみでその他の通院歴はなく、喉の痛みを訴えたこともなかったが、昭和五八年一月二二日(土曜日)の昼食後、喉の痛みを覚え、由井医院(耳鼻咽喉科気管食道科)を訪れた。同日午後二時三〇分ころに同病院で外来受付を行って、外来待合室で診療待ちをしていたところ、同時五〇分ころ、呼吸が困難となり、診療室に運び込まれた時にはチアノーゼが出現しており、「苦しい。」と二言ばかり洩らした後、すぐに意識も喪失した。由井医師は、亡昌美の下咽頭を診察した結果、巨大な腫瘍(後に解剖の結果、チステ(嚢胞)が膿瘍化したものと判明)を認めたので喉頭蓋膿瘍と診断して右腫瘍を切開手術したところ、暗赤色の内容物が多量に排出した。由井医師は、切開後直ちに、亡昌美に対して気管内挿管を行った上で、酸素を吸入した。右処置によって、亡昌美は意識を回復し、チアノーゼも解消し、起き上がろうとして、由井医師になだめられ、おとなしくなった。右挿管には、亡昌美の体型(猪首で肥満体)から約二分を要し、由井医師は二回目の試行で成功した。

2  由井医師は、亡昌美の患部の診療と回復のために、一週間ないし一〇日間の入院治療が必要であると判断し、由井病院には入院設備がないことから、山田赤十字病院へ架電したが、同病院の耳鼻咽喉科及び外科の医師が不在であったことから、同病院への搬送を諦め、さらに伊勢田中病院、伊勢慶応病院及び小崎外科産婦人科医院などに受入れを依頼したが、いずれの医療機関にも断られた。そこで、由井医師は第二次救急当番となっている被告病院へ連絡を行った。

由井病院から連絡を受けた被告病院の耳鼻咽喉科には正規医師は常駐しておらず、当日の当直体制は、内科(淵田医師)、外科、整形外科、小児科及び産婦人科の五名の医師であった。

浜条看護婦長を通じて由井医師から呼吸困難の患者の受入要請がある旨の報告を受けた淵田医師は、由井医師が被告病院に耳鼻咽喉科医が常駐していないことを知りながら、被告病院へ依頼してきたことから、患者は内科的な疾患による呼吸困難であると理解して受入れを了承し、亡昌美は被告病院へ搬送されることとなった。

3  救急車で被告病院へ搬送される時点での亡昌美の状態は、顔面が白っぽかったものの、意識はほぼ回復しており、自発呼吸が認められた。由井医師は付添看護婦に対し、搬送途中で亡昌美が勝手に気管チューブを引き抜くことがないよう監視することを、救急隊員に対しては酸素吸入を指示した。なお、亡昌美の急を聞いて由井医院に駆けつけた原告すみ子も救急車に同乗して被告病院へ同行した。

由井医師としては、亡昌美の症状は非常に特殊であり、切開を行い、呼吸困難な状態もあり、かなり重症であり、耳鼻咽喉科の専門的な治療が必要と考えており、自らも診療時間が終われば被告病院へ赴くつもりをしていたが、亡昌美が再度の呼吸困難に陥る可能性については少ないものと判断していた。

さらに、由井医師は、同日午後三時三〇分ころ、連絡の取れた山田赤十字病院の耳鼻咽喉科副部長である野崎医師に、亡昌美の診療経過を説明してその後の経過を診てくれるよう依頼した。

4  亡昌美は、同日午後三時四〇分ころ、気管内に挿管されたままで被告病院救急外来に到着した。亡昌美の状態は、血圧が一五〇/一〇〇mmHg、呼吸も連続して正常、喘鳴なしであった。

淵田医師は、内科的疾患による呼吸困難であろうという予想に反し、気管内挿管を受けた患者であったことから、内科以外の何らかの疾患があることを懸念して、救急外来より、由井医師に対し電話で問い合わせを行った。診療経過を尋ねられた由井医師は、亡昌美が由井病院で呼吸困難を訴えて一時は意識を喪失し、喉頭内のピンポン玉大の巨大な腫瘍を切開手術して挿管を行った経過及び喉頭蓋膿瘍という診断名を告げた。また、今後の措置として、意識がはっきりし、呼吸が整い、チアノーゼも消失したというような状態であれば、抜管してよいだろうと答えた。

右回答を受けて、淵田医師は、前記亡昌美の状態から、直ちに抜管可能と判断したが、病院一階の救急外来室では十分な処置ができないことを考慮して、亡昌美をICUに搬送することとした。そして、淵田医師は原告すみ子に対し、亡昌美の入院準備をするように告げた。

5  亡昌美は、同日午後四時五分、淵田医師及び浜条看護婦長に付き添われて、東病棟三階のICUに担送収容された。その直後に由井医師の依頼を受けて被告病院に駆けつけた山田赤十字病院耳鼻咽喉科の野崎医師もICUに来室した。ICU搬送後間もなく、淵田医師は亡昌美の抜管を行った。

6  抜管後、野崎医師はマッキントッシュ(喉頭鏡)を用いて亡昌美の患部を診察し、喉頭部に発赤と腫脹が認められるとして、抗生物質と凝固剤の投与を行った上で経過を観察する必要があるという意見を述べ、ICUを退出した。淵田医師は、耳鼻咽喉科医師である野崎医師に診察してもらったので、自らは喉頭部の診察を行わず、看護婦に対して抗生物質と止血凝固剤の投与を指示した。抜管後の亡昌美は、血圧一一〇/六六mmHg、脈拍一一八、緊張良好、呼吸は二四で規則的であったが、吸気に喘鳴があった。出血は続いていたが、意識は明瞭であり、同日午後四時一〇分ころには側臥位で出血した血液を自ら排出した。野崎医師に続いて、浜条看護婦長がICUを退室し、亡昌美の容体に変化もなかったことから、その後しばらくして淵田医師も病棟見回りのためICUを離れた。野崎医師は、観察を依頼された由井医師に対し、発赤くらいで出血もなく、喋っていて元気である旨を電話連絡した上で帰宅した。

7  亡昌美は、同日午後四時一五分ころ、ナースコールによって呼吸困難を訴えた。青山看護婦は、痰が詰まったものと考えて吸痰を行ったが、呼吸困難は改善されなかったことから、ICUの向かいの看護婦詰所内の看護婦に淵田医師へのドクターコールを依頼した。右ドクターコールが防災センターを経由してなされるとともに、同詰所から複数の看護婦が応援に駆けつけたが、同四時二〇分ころには亡昌美にチアノーゼが出現し、淵田医師のICU到着とほぼ同時ころ、呼吸が停止したことから、青山看護婦は徒手による人工呼吸を開始した。

8  回診のため西病棟五階にいた淵田医師は、ドクターコールを受けて防災センターへ架電し、ICUからの呼び出しを知ると直ちにICUに戻った。到着時には、亡昌美は既に意識がなく、無呼吸で、前胸部にチアノーゼが出現していた。淵田医師は、亡昌美が気道閉塞を起こしたと判断し、直ちに再挿管に着手するとともに、看護婦に他の医師の応援を指示した。同医師としては、由井医師が一度挿管を行っていることから、挿管可能であると考え、一〇回以上挿管の試行を繰り返したが、挿管は成功しなかった。同医師によると、それは亡昌美の喉頭が病変と切開手術のために変形及び色調の変化を来していたためであり、また、同医師は、気管切開による気道確保については挿管以上に時間がかかること、気管穿刺の方法についてはその方法、効果について十分な裏付けがないとして、いずれも実施しなかった。なお、挿管試行開始からの時間的な経過の確認は行っていない。

9  当時、たまたま病院内に残っていた被告病院整形外科の山添医師は、医局で緊急の挿管を依頼する電話を受けたことから、ICUへ駆けつけた。その到着時には、亡昌美は意識がなく、無呼吸であり、顔にチアノーゼが出て、脈拍はあるものの、非常に悪い状態であり、淵田医師が挿管試行中であった。山添医師は、淵田医師に替わって挿管を試み、同日午後四時三〇分、挿管に成功した。亡昌美の喉頭が直視下には確認できない状態であったので、山添医師も一回目の試行では挿管することはできず、二回目で成功したことから、挿管までに二、三分を要した。喉頭が視認不能である原因について、同医師は、気道が完全に閉塞していたことと亡昌美が猪首で太っていたことによると考えたが、気道閉塞の原因や、腫脹の有無、嚢胞切片の存在等については確認を行う余裕はなかった。

10  淵田医師は、山添医師による挿管が成功したころ、心電図を装着した。また、挿管後は、アンビューバックによる酸素吸入が開始されたが、亡昌美の瞳孔は散大し、下肢チアノーゼが認められ、洞性の徐脈から、同日午後四時三五分、心停止の状態となった。淵田医師が心室内への強心剤(ボスミン)の直接注射、カウンターショック療法を施行した結果、同四時四六分、心拍は上室性の頻拍となり、サーボベンチレーター(人工呼吸装置)が装着された。しかしながら、亡昌美は意識を回復せず、翌々日の二四日午前二時一七分、心臓停止をきたし、死亡するに至った。

以上の事実が認められる。

三  被告の主張1(一)(亡昌美の死因)について

前項に認定の事実と前掲乙第一五ないし一九号証、第二四号証、成立に争いのない乙第一三及び一四号証の各一、二、第二四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二二号証、鑑定の結果並びに前記野村、板倉及び日野原証言によれば、亡昌美の喉頭蓋舌面右側には先天性のチステ(嚢胞)が存在し、これが膿瘍化して急激に巨大化し気道を閉塞したことから、由井医院で膿瘍の切開手術を受けたが、被告病院での抜管後に右切開され虚脱した直径約五センチメートルのチステ壁が喉頭の声門上に陥頓して気道が閉塞され、窒息死するに至ったものと認められる。気管内組織の浮腫及び血液や分泌物の貯留による気管狭窄が右残存組織の声門への陥頓と競合的に発生していた可能性は認められるものの、抜管後の急激な呼吸困難は、あくまでもチステ切片の陥頓によって引き起こされたものと認めるのが相当である。

四  請求原因3(一)(1)(淵田医師の過失)について

前項認定の死因に鑑みると、抜管時において、亡昌美の先天性チステ(嚢胞)の膿瘍化により巨大化した切開後の組織の切片についての観察及び処置が適切に行われたか否かが、まず問題となる。

前記二、三の事実関係を基に、前掲乙第二四号証、前記証人野村、板倉及び日野原の各証言並びに鑑定の結果を参酌して、以下のとおり判断する。

1 前認定のとおり、亡昌美の喉頭蓋舌面右側には切開手術後の残存組織として直径約五センチメートルに及ぶ巨大なチステ(嚢胞)の切片が残っていたのであるから、抜管したまま放置すれば同切片が声門に陥入して気道閉塞をきたす危険性があったものである。被告病院の担当医師である淵田医師は、亡昌美が由井医院で喉頭蓋膿瘍と診断され、膿瘍部分の切開手術を受けた後、挿管されて被告病院に搬送されて来たものであり、さらに前医である由井医師から切開手術をした当該喉頭蓋膿瘍がピンポン玉程度の巨大なものであったとの情報を得ていたのであるから、亡昌美の気管チューブを抜管するにあたっては、患者の意識状態、自発呼吸、換気等が十分に行われているかなどの全身状態に対する観察のみならず、切開手術を受けた喉頭蓋を観察し、術後の患部の状態から、再度の気道狭窄や閉塞の危険性がないか否かを診察すべき注意義務があったものと認められる(鑑定の結果)。したがって、淵田医師としては、右患部の状況、特に切開手術後の残存組織の切除等の処置がなされているのか、同組織によって再度の気管閉塞の危険性がないかなど、その患部周辺の状態を正確に把握するため、抜管後直ちに亡昌美の喉頭蓋の患部をマッキントッシュ(喉頭鏡)等によってよく観察すべき注意義務があったのに、これを行わなかったため、前記切片が喉頭蓋に残存しているのを見落としたものである。

その結果、亡昌美についてチステ切片の除去手術ないしは再挿管して同切片が声門に陥入して気道閉塞するのを防止する処置を講ずる機会を逸してしまい、そのため同切片が間もなく声門に陥入して気道閉塞をきたし、再挿管も間に合わない状態となって、窒息死の結果を招いたものと認められる。

2 この点、淵田医師は、抜管後、耳鼻咽喉科の専門医である山田赤十字病院の野崎医師に患部の診察をしてもらったのであるから、専門医師の診断に誤りはないと思い、それ以上淵田医師自身が口を挟むことはないとして、患部の観察は行わなかったと証言しているが、たとえ専門医である野崎医師が診察を行ったとしても、担当医師としては、自ら診察すべき義務が免除されるものではないし、耳鼻咽喉科の専門医師の意見を尊重するとしても、担当医師として最終的な判断は自ら行わなければならないのであるから、そのためには自ら患部の観察及び残存切片の状態把握を行うことが不可欠であったと認められる。また、少なくとも、淵田医師は、野崎医師の経過観察必要とのアドバイスを受けて、実際に経過観察を実施していく医師として、抜管時点での患部の状況を把握しておくこと、あるいはその現状から、今後経過観察を行う上で何が問題となるのか、いかなる点に注意して今後の観察を行わなければならないのかを検分しておくべき義務があったものである。

前医である由井医師から、膿瘍の切片について具体的な引き継ぎがなされなかったこと、野崎医師が由井医師の依頼を受けて被告病院で亡昌美を診察しながら、同切片の切除の必要性を看過したこと、右両名医師は耳鼻咽喉科の専門医であることから、専門外の淵田医師としては、両者からの情報によってその判断に大きく影響を受けたことは同情に値するが、これをもって、淵田医師の担当医師としての責任を否定することはできない。

3 また、淵田医師は内科医師であり、その証言によれば、同医師は医師資格を取得してから三年余りであったことが認められることから、耳鼻咽喉科の疾患である喉頭蓋膿瘍ないし嚢胞の術後の残存組織による陥頓の危険性を予測することはできず、患部観察の重大性についての認識を欠き、また、仮に患部を観察していたとしても、その状態を正確に把握できなかったのではないかという点が、鑑定の結果及び前記日野原証言において指摘されているので、この点について言及するに、淵田医師は、亡昌美を受入れるにあたって、専門外の疾患であり十分な診察及び処置はできないとして、耳鼻咽喉科医師の常駐する病院への転送を促すなどしたわけでもなく、亡昌美の挿管状態による苦痛を除去するためとはいえ、前医が行っていた挿管状態に積極的な変更を加えて、亡昌美の窒息死の結果を招いたものであること、また、被告病院が耳鼻咽喉科を診療科目として掲げる以上、同病院での診療内容はその診療科目に背理しないものであるべきであること(由井医師が被告病院に耳鼻咽喉科の当直体制が不備であることを知っていたことは、由井医師と被告病院との間の問題であって、被告病院と患者との関係においては、被告病院の責任を減ずるものではない。)に鑑みれば、亡昌美を被告病院に入院させ、その治療に当たったからには専門外の診療であるからといって前記注意義務を軽減することはできない。

これを言葉を変えて言えば、喉頭蓋に疾患があり気管内挿管して気道確保の状態にある患者に対し、抜管して無挿管の状態とし、経過観察をすることは、喉頭部周辺の医学的知識を有し、術後の患部に対する適切な処置や、後に再度呼吸困難となったときには再挿管等によって患者を救命し得る技術を有する医師が当該患部を十分に観察した後に初めて行うことができるものと言うべきであり、むしろ、淵田医師のような内科医であり、しかも医師としての経験が極めて少ない者としては、専門医へ患者を転送するか、専門医が到着して診察治療に当たるまで抜管状態のままで放置してはいけなかったものと言わざるを得ない。

しかるに、淵田医師が右知識も技術も十分でなかったことは同医師自身の供述から窺われ、しかも、同医師は亡昌美の患部の状態を自ら診察しないまま、したがってまた当然に、患部の処置をしないまま気道確保のための管を抜管して無挿管の状態としてしまったのである。もっとも、この点については前記のとおり、耳鼻咽喉科医である野崎医師が亡昌美の死亡前その診察に関与し、淵田医師に助言もしているのであるが、そもそも野崎医師は、前医である由井医師の連絡を受けて被告病院に赴いたところ、患者である亡昌美は被告病院のICUにおいて淵田医師のもとで診療を受けていたものであり、淵田医師より亡昌美の診察治療の依頼を受けたわけではなく、責任ある立場で十分に亡昌美の診察に当たったものとは到底認められない。このことは野崎医師の証言(「(亡昌美の)口腔内をちょっと診た覚えがあります。」「私としては、患者がどういう状態にあるかということを、由井医師に伝えることが役目と思いましたから、患者を診て何かするとかできない立場です……。」)等によっても明らかである。したがって、淵田医師が他の病院の野崎医師の助言を受けたからといって、その担当医師としての責任がなくなるものではない。また、淵田医師は由井医師からも亡昌美の症状について情報を得ているのであるが、由井医師は待合室で突然呼吸困難に陥り意識喪失した亡昌美の患部を緊急切開して応急処置を執ったに過ぎないのであって、かかる医師から電話で聴いて情報を得ていたからといって、新たに亡昌美の治療に当たった淵田医師が自らの診察義務を免れるものでないことは当然である(仮に、野崎医師あるいは由井医師において亡昌美の死亡につき過失があったとすれば、それは淵田医師と共同不法行為の関係にあるに過ぎないものである)。

4 なお、被告は、亡昌美の抜管後のチステの残存組織は耳鼻咽喉科医であっても容易に発見することができず、仮に発見することができたとしても、それが声門上へ陥頓して窒息するなどということは予測不可能であったと主張する。

しかしながら、亡昌美の切開後のチステの切片は直径五センチメートルもある巨大なものであり、それが喉頭蓋部に存在していたのであるから、一般の耳鼻咽喉科医が慎重に患部を診察すればこれを発見し得たはずのものである(日野原証言)。そして、右切片の位置及び大きさからみて、これが声門上に陥頓し呼吸困難をきたすことも当然予測可能であったと言うべきである。被告病院における亡昌美の呼吸困難は、病状の急変によるものではなく、右切片が声門上に陥頓したという物理的現象によるものにすぎない。被告主張のごとく咽喉頭の膿瘍一般において切開後に切片による窒息が少ないことが事実としても、本件の亡昌美の場合には現に巨大な嚢胞切片が喉頭蓋部に存在していた事案(それが単なる膿瘍であるか嚢胞の膿瘍化したものであるかは切開後の患部を診察した結果判明することである。)であるから、過去に窒息死の事例が少ないことをもって、予測不可能ということはできない。

5 結局、本件は、亡昌美が開業医である耳鼻咽喉科医により、喉頭蓋部に存在したチステが膿瘍化し急激にピンポン玉大に膨隆したためこれを切開され、呼吸確保のため気管内挿管の状態で直ちに救急車により被告病院に送られたところ、これを受け入れた被告病院の当直医であった内科医師によりICUに収容され、入室の約五分後には右管を抜管されたが、その患部の処置がなされなかったため、十数分後に右切開後のチステの残存組織が声門に陥頓して再び呼吸困難に陥り、同医師が再挿管しようと試みたが成功せず、亡昌美を窒息死するに至らしめたという事案であり、患者の患部をよく診察しないまま抜管状態とし、患部の治療をしないまま放置して再窒息するに至らしめた右内科医師に過失があったものとみるべき事案と認められる。

五  請求原因3(二)(2)(不法行為責任)について

淵田医師が被告病院に勤務しており、同病院の医師として亡昌美の診療を行ったことは当事者間に争いがなく、右によれば、被告は民法七一五条に基づく不法行為責任として亡昌美の死亡により生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

六  請求原因4(損害)について

1  亡昌美の損害

(一)  逸失利益

(1) 前掲甲第一八号証、成立に争いのない甲第二号証、第一七号証、原告金谷すみ子本人尋問の結果によって真正に成立したものと認められる甲第一一号証及び同本人尋問の結果によれば、亡昌美は、死亡当時、自動車整備工として稼働しており、整備工としての年間所得額が三〇八万円であったこと、さらに、魚市場への魚の運搬の手伝いを行って、年間三六万円のアルバイト収入があったことが認められ、弁論の全趣旨によれば、亡昌美が死亡当時四一歳であったことは明らかであることから、本件医療過誤により死亡しなければ、満六七歳までの二六年間にわたって稼働可能であったと推認されるので、亡昌美の生活費用として三〇パーセントを控除した上、ホフマン式計算式によって、その間の得べかりし利益を算定すると、次の計算式のとおり、三九四四万〇六三二円となる。

(308万+36万)×(1―0.3)×16.379=3944万0632

この点に関し原告は、亡昌美の自動車整備工としての給料は、過去に年五パーセントの割合で昇給を続けてきたものであるから、今後も同率の昇給が見込まれるのであって、逸失利益の算定にあたって斟酌すべきであると主張するが、なるほど前掲の甲第二号証及び成立に争いのない甲第三ないし一〇号証によれば、亡昌美の所得が昭和四九年から五七年にかけて増加してきた事実は認められるものの、右事実のみをもって、亡昌美の給料が今後年五パーセントの割合で昇給するとの蓋然性を推認することはできず、原告の右主張は採用できない。

(2) 被告の主張2(過失相殺の法理による減額)について

前記認定の事実によれば、亡昌美は当日(土曜日)の昼食後、喉の痛みを覚えて由井医院を訪れ、外来待合室で診療待ちをしていたところ、約二〇分後に呼吸困難となり、すぐに意識も喪失するなど寸刻を争う状態に陥ったが、由井医師の応急措置により一時は危機的状態を脱したものの、被告病院において一時間三〇分後に再び呼吸困難に陥り、淵田医師らによる応急措置が功を奏せずに死亡するに至ったものであるが、亡昌美が由井医院を訪れるのが今少し遅れていたならばそのまま失命していた可能性もあった事案である。ところで、亡昌美の由井医院における呼吸困難は喉頭蓋に存在していた先天性の大きなチステが膿瘍化した結果生じたものであったことから、亡昌美がもう少し早い時期に医師の診察を受けておれば、かかる事態は避けられたと思われるのに、前記のとおり由井医院を訪れたのは緊急の事態に陥る寸前で、現実に由井医師の手当を受けたのは意識喪失後であったため、由井医師は勿論、同医師の応急措置を引き継いだ淵田医師においても、問診による喉頭部の症状把握ができなかったこと、本件のような巨大な喉頭蓋チステの膿瘍化の症例も、チステの切片が声門に陥入して気道を閉塞するという症例も非常に珍しく、亡昌美の体質等による影響もあるものと考えられること、淵田医師による再挿管が直ちに成功しておれば亡昌美を救命できたものと思われるところ、たまたま亡昌美が猪首で肥満体であったことが災いして救命が遅れた点も存すること、また、淵田医師としては、応急措置をした前医の由井医師が当日被告病院には耳鼻咽喉科の医師が不在であることを承知のうえで、応急措置をした状態のまま亡昌美を救急患者として被告病院に搬送してきたのに、その後の措置について特段の引き継ぎ事項もなく、しかも同医師の依頼した耳鼻咽喉科医である野崎医師が被告病院を訪れて亡昌美の喉頭部を診たうえ、抗生物質と凝固剤の投与を行って経過観察をするように述べたことから、自らは患部の診察をしないで、気管内挿管による亡昌美の苦痛を除去するために執った抜管処置により再度の呼吸困難が発生した事案であることなどを考慮すると、民法七二二条所定の過失相殺の法理を類推適用して、右逸失利益のうち約三〇パーセントを減額した残額である二七六〇万円を被告の賠償すべき金額と認定するのが相当である。

(二)  慰謝料

亡昌美の年齢・家族状況、本件の発病・診療経過など本件において認められる諸般の事情を考慮すると、慰謝料の額は一二〇〇万円をもって相当とする。

(三)  原告すみ子が亡昌美の妻であり、原告尚美及び原告直洋がいずれも子であることは、前記一に認定のとおりであるから、右(一)(二)認定の金額につき、原告すみ子は一九八〇万円、原告尚美及び原告直洋は各九九〇万円を相続したものと認められる。

2  葬祭費用

原告すみ子の本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、亡昌美の葬式費用として八〇万円が相当と認められ、同金額が葬儀費用として原告すみ子の請求し得べき損害と認められる。

3  弁護士費用

原告らが原告ら代理人弁護士に本件訴訟の遂行を委任していることは本件記録上明白であるところ、本件訴訟の難易度、審理の経過、認容額その他本件において認められる諸般の事情を考慮すると、本件と相当因果関係が認められる弁護士費用は、原告すみ子につき二〇〇万円、原告尚美及び原告直洋につき各一〇〇万円と認めるのが相当である。

七  結論

以上によれば、原告すみ子の本訴請求は、損害賠償金二二六〇万円(前記六の1ないし3の損害金の合計)及びこれに対する本件不法行為の後であることが明らかな昭和五八年一月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、原告尚美及び原告直洋の各本訴請求は、それぞれ損害賠償金一〇九〇万円(前記六の1及び3の損害金の合計)及びこれに対する本件不法行為の後であることが明らかな昭和五八年一月二五日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で、いずれも理由があるから、右限度でそれぞれ認容し、その余の請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文をそれぞれ適用し、仮執行宣言については相当でないから、これを却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官窪田季夫 裁判官橋本勝利 裁判官比嘉一美)

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